昭和女のモヤモヤ日記

非正規&フリーランス昭和女が身近なモヤモヤ~社会のモヤモヤまでを語る。

わが子の弁当作り中、自分の中学時代を思い出し切なくなる。

コロナ禍において、わが子の学校は食堂が利用できません。というわけで、必然的に毎日弁当を作ることに。毎日とにかく「を三色入れる!」を心がけています。

だって、弁当にはトラウマが、、、。

今回は、母の作ってくれた弁当にまつわるエピソードです。

あれは中学時代。中学一年生の頃は給食センター建設中で、一年間は毎日弁当持ちでした。

専業主婦で朝寝坊の母でしたが、毎日弁当を作ってくれました。

 

昼食の時間は友達同士で弁当を囲むのではなく、班のメンバーの男女2対2で机を向かい合わせにして食べなければいけませんでした。

斜め前には当時好きだった男の子がいました。そんななか弁当箱を開けてみると……、

 

白いご飯の上に焦げ茶色に煮たカマボコ2枚と少し焦げた炒り卵のみがのっていました。

 

『うわあ!やば~。これ見られたらあかんやつやん!』と弁当のふたでさっと隠しました。

が、お弁当の中身を隣の仲良しだけど、ちょっといじわるなSちゃんに見られました。

 

「え~、かわいそう。モヤ子かわいそう!ちょっとお母さんひどくない?」

 

『でっかい声でそんなこと言うお前がひどいわ!』

と思いつつも何も言えず、ヘラヘラ笑っていた私。好きな男の子は聞こえているはずだけど、無言でお弁当を食べていました。

 

そしてSちゃんのお弁当をのぞきこむと、きゅうりにハムがお花のように巻かれたおかずや、ミートボール、さやえんどう、色とりどりのかわいいお弁当でした。

「ほら、普通はこんなお弁当作ってくれるよ」とな。

 

Sちゃんのお母さんは工場の事務の仕事をしていて、毎朝早くに出勤していました。それなのに手の込んだお弁当。

うちのお母さんは朝寝ぼうして茶色い手抜き弁当。がっかりしましたが、それを母に伝えることはできませんでした。

 

だって、それを伝えるときっと怒られるとわかっていたからです。いや、怒られるならいい。もっと嫌なアレ。ショックを受けて寝込む(フリ?)ってのをやられる可能性があったからです。

 

しかし、試練はまだまだ続くのでした。

 

そう、翌日も翌々日も同じ弁当が続いたのです。いや、白いご飯の上に炒り卵と鰹節しょう油がけのみってときもありました。

そして、毎日Sちゃんに「かわいそう攻撃」を受けるのでした。

 

そんなわけで一ヶ月我慢した後、私は自分でお弁当を作る決意をしたのでした。まあ、へたなものでしたが、なんとか色だけはマシになりました。

 

そして、自分で作っているのにもかかわらず、「お母さんが作った」ということにして毎日お弁当の時間をやり過ごしていました。

 

ちなみに、母に対して恨みがあるわけでなく、ただ切なかったのです。だって、私がお弁当を作るための材料を買いに行くお金はちゃんとくれました。お弁当に関しては単に、「めんどくさかった」だけのような気がします。

 

書いていると、母を非難する気持ちはそれほどなく、Sちゃんに対する恨みのほうが大きいことに気づきました。吐きだしてよかった!

 

というわけで、明日のわが子のお弁当の下準備をそろそろします。